繰り返される悲惨ないじめ事件
社会に衝撃を与える自殺や傷害致死を伴う事件が発生するたびに、いじめは社会問題として取り上げられ、世論を賑わせます。
しかし、いつしか忘れられ、忘れられた頃にまた悲惨ないじめ死が起きるという繰り返しです。
近年の日本で社会問題としてのいじめはどんな経緯を辿ってきたのか?
ある教育研究家(脚注※)がまとめている内容をかいつまんで紹介しましょう。
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4つのピーク期
この教育研究家によれば、いじめが社会問題化したピーク期は、大きく4回あるそうです。
ここでいうピーク期は、統計上のいじめの報告件数が多かった時期という定量的な意味ではありません。
それも関係ありますが、むしろ世間の関心が高まった時期という定性的な意味合いです。
第1ピーク期 1984~1987年頃
この時期の大きな事件としては、東京都の中学2年生・鹿川裕史君の自殺があります。
葬式ごっこをされ、クラスメイトが「死んでおめでとう」と書かれた色紙を作り、4人もの教師がそこに署名していました。
この事件は社会に衝撃を与えはしましたが、世論はいじめられた側に好意的ではありませんでした。
「いじめは昔からある」「いじめられる方も悪い」といった意見が強く、裁判でも葬式ごっこと自殺の因果関係は認められませんでした。
第2ピーク期 1994~1996年頃
この時期を象徴する事件は、愛知県の中学2年生・大河内清輝君の自殺です。
小学校6年から始まる、数年にもわたる暴行、多額の恐喝などの末のことでした。
当時の世論は、いじめを人権の観点からとらえるようになり、社会全体でいじめを追放しようという気運が高まりました。
10年前の第1ピーク期とは世間の認識がだいぶ変わってきたといえます。
テレビでも公共広告機構(AC)のCMで有名スポーツ選手が「いじめ、許さん」「いじめ、カッコ悪い」と呼びかけました。
しかし、この変化は表面的なものにとどまり、「いじめられる方も悪い」という考え方は根強く残っていました。
表だっては口にしにくくなっただけです。
第3ピーク期 2006年頃
2005年9月に北海道滝川市の小学6年生女児が7通の遺書を残して教室内で首を吊りました。
2006年の1年だけで、いじめが原因の自殺が10件、自殺未遂が2件起きています。
このころから学校や教育委員会の隠蔽体質が問題として浮上してきました。
第4ピーク期 2011年以降
2011年に滋賀県大津市中2いじめ自殺事件が起き、いじめ行為の悪質さや学校・教育委員会の隠蔽体質が暴露されて大きな社会問題になりました。
これがきっかけで「いじめ防止対策推進法」が制定されたのはひとつの進歩です。
いじめが疑われる事件が起きた場合、学校や教育委員会もその可能性を認めて、第三者調査委員会を立ち上げるケースが増えてきました。
しかし、その後もいじめに発する自殺や傷害致死事件は次々に起きています。
このように、世間のいじめに対する認識や、学校・教育委員会の対応も改善傾向にあるのに、現実は悪化しているかにさえ見えます。
現代のいじめは、もはや昭和以前の牧歌的な「ガキ大将といじめられっ子」の世界ではまったくないのです。
大人が止めなければ、死の淵まで追い詰められてしまいます。
関係する大人たちに制止に動いてもらうためには、事実の提示が一番効果的です。
子供たちが何をしているのか、調べて客観的な証拠を示すのです。
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※教育研究家の尾木ママこと尾木直樹氏の著書「いじめ問題をどう克服するか?」(岩波新書)より。なお、尾木直樹氏は当サイトとは無関係です。