教師の多忙化と成果主義の弊害
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昔のような先生がいなくなった学校
いじめの報道に触れるたび、現在の教師の情けない姿に呆れることが多いです。
いじめの兆候を把握しながら、何もしない。
校長にこびへつらって、隠ぺいに協力する。
こうしたことの原因は先生たちの資質や自覚の低さも、もちろんあるでしょう。
いじめグループを特別扱いで擁護し、いじめに参加する先生さえいましたが、そういうのは間違いなく先生個人に大きな問題があります。
しかし、大多数の先生はもっとまじめにいじめをなくしたいと思っているわけで、それがそうできないのは構造的な問題もあるのです。
教師の多忙化
そのひとつが教師の多忙化です。
昔と違って事務作業が圧倒的に増えているのです。
書類作成の締め切りに追われて、生徒と面談したり、先生同士で話し合ったりする時間が十分取れなくなっているのです。
文科省の統計では、ここ10年で精神疾患で休職する教師の数が2.5倍に激増していますが、その一因として多忙化が指摘されています。
成果主義の弊害
2000年頃から市場原理主義的な考え方が学校現場に浸透していきました。
今日では成果主義や数値目標主義に基づく、さまざまな仕組みが運用されています。
厳しい企業社会に比べて、なれあい・ぬるま湯の教員社会を変革すべく導入されたものでした。
しかし、これがしばしばうまく機能していません。
企業は売上や利益という、客観的な評価尺度が存在します。
税務署という外部組織が厳密にチェックするので、ごまかしようがありません。
しかし、学校は事情が違います。
例えば、「いじめゼロ」が目標に掲げられたために、数値目標達成のため、いじめを隠ぺいする傾向が強まったことがありました。
1999年から2005年まで、文科省の統計ではいじめを苦に自殺した子供の数はゼロを更新し続けていました。
しかし、2005年に北海道滝川市で女子小学生が教室で首を吊る事件が起き、この統計に疑問符がつきます。
再調査の結果、7年間に12件のいじめ原因自殺が発見されました。
問題は、子供を教育していじめをなくすのも、子供の自殺原因がいじめか否かを判定するのも、学校・教育委員会という同じ組織であるところです。
そんな状態で数値目標を与えれば、隠すのが達成の早道になってしまうのは当たり前です。
評価するのは利害関係のない別組織でなければ、機能するはずがありません。
成果主義のもうひとつの問題点は、評価者に都合のよい人間が評価されることです。
いじめを認めて、それをなくすために現場で汗をかく先生より、校長にこびへつらって「いじめはない」と報告してくれる先生の方が高い点がつくのです。
この評価は昇給や転勤に大きく影響します。
教師も生活・家族・人生がありますから、評価を無視して理想の教師として生きるのは難しいわけです。
このように、先生は構造的な問題を抱えています。
いじめについて先生に相談したのに改善が見られないなら、先生にそれ以上の期待はできないという覚悟は持つべきだと思います。
子供の命を守るために、自分で動くことも視野に入れていただきたいと思います。
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